とっつーに言いたいことは「お疲れ様でした、ありがとう」
ダ・ヴィンチでのとっつーの連載「ジョーダンバットが鳴っている」が最終回を迎えました。最終回を読んで感じたのは、「さみしい」とか「残念」という気持ちよりも、「とっつーに労いと感謝の言葉を贈りたい」、でした。
と、いうのも、この連載に非常に満足したということと、とっつーが誠心誠意、本当に一生懸命にこの連載に取り組んでくれたということが、今更ながらよくわかったからだと思います。
まぁ、そもそもとっつーのような男がいい加減な気持ちで仕事に取り組むわけがないのですが、この最終回を読んだら、それがもっともっとよくわかったわけです。
この見開き1ページの文章を書くためにどれだけの労力、時間、人員がかかっているんだということを、私はあまりわかっていなかった。雑誌1冊を作り上げること、これってすごいことなんですね。
以前、私はとっつーについて語った時に、こういう「書く」仕事があるってことはとっつー自身にとっても良いことなのでは、なんて言ったと思うのですが。軽々しい発言だったと反省しています。もともと、ぐるぐるモノゴトを考える性質であろうとっつーが、書くために、もっともっとぐるぐる、ぐるぐる、深く、深く、考えて。真剣に向き合って。
身体的な疲れだけでなくてアタマもココロも相当疲れる作業だっただろうに、とっつーが気持ちを整理する場としていい、だなんて、よく言ったもんだよ、私は!ばかものだ!!私は!!!
とっつーはすごくすごく、がんばってくれたんです。
だからとっつー、本当に「お疲れ様でした」。
とっつーの連載は、編集者のお力添えはあっただろうけれど、どんな内容の時も、その文章から彼のマジメな性格や真剣に取り組んでいる姿勢がずっと見えていた。
うーん。やっぱり終わっちゃうのはさみしいな。
でも、簡単に「続けて」とは言えない、そんな気分。それくらい、とっつーのガンバリを感じたし、今までの連載に満足してます。
だから、とっつー、本当に「ありがとう」。
それから、お正月のラジオでとっつーが「裏」「表」について持論を展開してたけど、「裏」の仕事っていうけど結局は表面化して「表」になってんだっていうの。本当にそうなんだな、と。逆に言うと「表」の仕事には、必ず裏付けとなる「裏」の仕事がある。とっつーの「ジョーダンバットが鳴っている」の見開き1ページがそうだったように、舞台とかコンサートとか、テレビのバラエティもきっとそうなんだよね。
まさに表裏一体。
そして、とっつーは「30歳」にすごく身構えている。
ぐるぐる考えをめぐらすとっつーらしいけど、30歳になってもかわりませーん、と言いのけた五関くんとの温度差たるや。
もうちょっと五関くんもしっかりしなさいよ、と言いたくなる人もいるかもしれない。
でも、私はこれでいいと思うんです。これくらい軽やかな方が五関くんらしいし、それにその方が、とっつーも安心しそう。「さすが五関くん、軽やかだな~」って。あの笑顔で。
深く考える人がいて、軽やかにステップ踏む人もいて。
今後のA.B.C-Z も楽しみだ♪