ABC座2015感想②~1幕THE PLAY[サンズオブマッシュルーム]の好みでないトコロについて~
ニッキの演出については、正直好みではない、と言っておきながら、私は今回のABC座を大変楽しみました。とはいえ、やっぱりここは好みでない、というトコロがありまして。
わざわざ私の個人的な意見、しかもマイナスなこと書くことないじゃない?という気もするし、ていうか私の個人的なブログなんだから書きたいようにかけばいいじゃない?とも思いまして。
どうでもいいことなのですが、そもそも、このブログにはあんまりマイナスなことは書かないでおこうって思っていたのです。せっかくだから、明るく楽しく書きたいなー、と。でも、マイナス意見でも、同じ意見の方のブログ読んでいると「同じ思いを持ってる人もいるんだ」とホッとする、なんてことも結構あって。ま、言いたいこと書いちゃえばいいのかな、と。
いうことで。
ABC座2015、1幕THE PLAY で、まるみつ好みではないトコロを発表いたします。
それは・・・
猫です!
ぬいぐるみの猫はすごくかわいくて、わざわざ双眼鏡で猫のぬいぐるみを見てしまったほどです。猫をかわいがるリョウスケがまた、優しくてステキで。猫が出てくること自体はすごく良かったと思うのです。リョウスケの“心優しいロックンローラー”感がすごく表れてた。
でも、ぬいぐるみの猫と女優さんの演じる猫とが、なんというか、違いすぎる・・・。
姿かたち、というのではなく、雰囲気が。
女優さんが演じるラムは、「どすこい」感が強すぎません・・・?
PLANETSのメンバーを紹介するマイクパフォーマンス部分、そこはそういう演出だから力強くていいんだけど、もっと普段の雰囲気との落差がなくちゃおもしろくないっていうか。普段はおとなしくてかわいらしいにゃんこが豹変してあぁなったって方がおもしろくないですかね。
リョウスケが生き返るように神様にお願いするシーンも、途中で神様に逆キレし出しちゃって、私はどうも入り込めない、ひいてしまう。「頑張らせていただきますからッ」という激しい雄叫びも、意味がちょっとよくわからなくて…。(なんとなくこのセリフを聞くと、タキシードで刀を振り回しているとっつーが脳裏に浮かぶのですが、これもニッキに関わる何かのパロディだったのかな…)
せっかく女優さんを使うんだから、わざわざ女優さんを使うんだから、女優さんでないとできない演出をすればいいのに…。つまり、リョウスケとの関係ですよね。私だったら、私がラムだったら、リョウスケにあーんなに優しくいいこいいこされたら、絶対、好きになりますよね。このお芝居見て、生まれて初めて「猫になりたい」って私思いましたもん。リョウスケはラムのこと猫としか思ってないけど、ラムはリョウスケに恋してるって設定の方がよくないかな?
ラムが「猫は人気者になりたいとは思わない」と言うくだりがあるけれど、あそこで、もうちょっと「リョウスケさえいてくれれば♡」感を出して、でも、リョウスケは猫としか見てくれない、それでもいい、そばにいたい、みたいな切なさをみせたら、もうちょっと観客の気持ちがラムに寄ってくると思うんですよね。リョウスケを生き返らせようと神様にお願いするシーンも、もっとせつなく観客の乙女心に響くんじゃないかなー、なんて。
そうでなければ、猫はもうオスのクロネコでジュニアのシュッとした子がタキシード来て演じるとか、普通のシマシマ猫で、ど根性ガエルのぴょん吉とヒロシみたいな関係性にして元気なジュニアの子が演じるとか、ちびっこジュニアが猫耳つけて出てきても、観客はとりこになったと思う。
私には気付けなかった、女優さんを使う意味や良さがきっとあったんでしょうけれど。
そしてもうひとつ、好みでないトコロがあって・・・
それはリョウスケが死んでしまうところ。
「死」って本当に突然訪れるものだし、「生」って本当にあっけなく途切れるもの。
それはよくわかっているので、「死」を扱うこと自体はいいんです。
でも、猫に不思議なチカラがあっても、五関くんが美しく舞っても、人は生き返らない。
「死」は突然やってくるけど、「生」はやってこない。
うまく言えないけど、軽々しく扱ったつもりはないだろうけど、やっぱり軽々しく扱われているように感じてしまって。
初めて見た時は憤りを感じた。・・・だけどリョウスケの生き返り方が本当にほのぼのしていて。固くなった心を溶かしてくれるような、とぼけた、ふんわりした生き返り方。そこが救いになりました。
いろいろ書きましたが、実際の演出家の方が見たら、うるせーシロウト、と思ってももらえないほどの内容でしょう…。そう、マヌケのシロウトの戯言なので、ご勘弁ください。
でも、なんか、書いたら気持ちがすっきりしました。えへ。